Interview

2026年4月22日

地域経営者が創出する新たな成長=中小企業庁の山下長官が語る「100億宣言」政策

国際秩序の変容と急激なイノベーションによって国際競争の環境は大きく変わった。日本企業は長引くデフレ思考から成長志向へと舵を切ることができるのか。経済産業省・中小企業庁が進める「100億宣言」政策に関心が集まっている。この政策は飛躍的な成長に挑戦する地域企業経営者を後押しし、中小企業の経営・ガバナンス・資金調達・ネットワークの拡充を促す試みである。デロイト トーマツ戦略研究所が中小企業庁の山下隆一長官に政策の狙いと手ごたえを聞いた。

中小企業庁の山下隆一長官

 

目標は「デフレマインドからの脱却」

 

 

——「100億宣言」は極めて特徴的な政策だと考えられます。まず、中小企業経営者に売上高100億円を目指すことを宣言いただき、経営戦略をしっかりとまとめていただく。そして、審査したうえで、中小企業成長加速化補助金などを支援し、経営者の方々や金融機関、伴走支援機関のネットワーク形成も目指すという仕組みです。この政策はどのような経緯から生まれたのでしょうか。

 

山下 この政策を語るには、日本経済が置かれた現状から説明しなければなりません。
日本経済は1990年代以降のデフレーションに苦しみ、社会の根幹に(安い製品・サービスが競争力を持つといった)「デフレ思考」が染みつきました。デフレ思考による経済・産業が形成されたため、霞が関(政府官公庁)や大手町(金融機関)には、デフレに適応して立身出世したいわば「デフレのエリート」ともいえる人材が量産されました。
 しかし、日本の金融環境においてもインフレの時代が始まっています。また、世界の産業の在り方も変わろうとしています。昨日と同じことを続けるのは「現状維持=衰退」です。やり方を変え、挑戦に踏み出す必要があります。挑戦すべきは、国内投資環境の整備、そして賃上げです。世界でデジタル革命、AI革命、バイオ革命が起きているときに、研究開発投資も、設備投資も、人材投資もしない国が勝てるわけがありません。
 この30年、日本は国内投資をほとんどしませんでした。大企業は海外展開に偏り、国内の研究開発・設備・人材投資が不足した。
私は、今後の投資の担い手は、地域の企業だと考えています。売上高100億円を目指すような、意欲ある中小・中堅企業の経営者が重要になります。中小・中堅企業は、社長が本気になれば会社が一気に変わります。経営者によるガバナンスが強く効きます。逆に大企業では、トップが分かっていても、デフレ思考の優秀なエリート管理職が「変えない理由」を並べ、組織が動きにくい。だからこそ、中堅企業を明確に位置づけるとともに、「100億を目指す」という旗印で、成長志向の経営者を応援すべきだと考えたのです。

 

表 100億宣言政策の手法・要件、政策手段の類型

デロイト トーマツ戦略研究所作成

参考:秋吉貴雄・伊藤修一郎・北山俊哉 (2015)

<参考レポート>

地方創生2.0、賞賛による「100億企業」創出――中小企業成長へ、意志に働き掛け | Strategy Institute | FA Portal | デロイト トーマツ グループ

 

——政策は、成長加速化補助金をインセンティブ(誘因)としつつ、経営者同士、また企業と支援機関のネットワークを育てていくことを重視しています。このような経営ネットワークは、これまでも存在していました。それとは異なる、より実を意識した連携網が必要なのでしょうか。

 

山下 AIの急激な発達、地政学リスクの高まり、GX(グリーントランスフォーメーション)、少子高齢化という構造的な課題と人手不足。世界、そして日本経済の前提が一斉に変わっており、その中で中小・中堅企業は変化に適応する可能性を持っています。一方で、経営者という存在は孤独です。過去の常識が通用しない中で「どう変えるか」を考え抜くのは容易ではない。だから同じ悩みを越えてきた仲間とつながる場が重要です。

 地域を牽引する企業経営者、そして彼らを取り巻くネットワークは、地域社会・経済を変え、動かすソフトインフラとして重要になっていきます。こうした感覚は経営の最前線にいらっしゃる社長の皆様もお持ちのようです。関東経済産業局は昨年度、20社余りを対象とした経営者ネットワーク「売上高100億円を本気で目指すゼミナール(100ゼミ)」を試行し、経営研修と実務交流を通じて数多くの気づきや協業が生まれました。「やめないでほしい」という強い要望が寄せられています。このような顔が見える地域ネットワークと、全国イベントやテーマ別セミナーを組み合わせ、プラットフォーム化していきます。

 

「公言(宣言)ガバナンス」が経営者を変え、周りを変える
 

   

——「100億宣言」はナラティブ(主観的な物語)も用い、経営者の意識に働きかける要素があると考えています。イノベーションが加速し、莫大な情報が伝達・共有される時代だからこそ、「何を話したか」よりも「誰が話したか」の重要性が注視されています。この点で、マインドに焦点を当てる政策は特徴的ですね。

 

山下 政策におけるナラティブ、マインドへの働き掛けは重要な要素だと考えています。

まず、「飛躍的に事業規模を拡大し、売上高100億円突破を目指す」という宣言は社長自身を変えます。100億円達成への道筋を明確にする戦略が必要になります。社長自身が「オーガニックな成長は難しいよな。そうであれば、M&Aや全く新しい投資が不可欠になるよな」と真剣に考えるようになります。宣言をして、初めて真剣に10年の計画やM&A、新規投資を考えるようになった方がたくさんいらっしゃいます。

また、宣言企業の従業員の皆さんは「うちの会社、経営陣は、こんなにすごいビジョンを打ち出すのか」と驚き、夢に共感して、会社に対するエンゲージメントが高まります。地域での雇用創出への期待も高まります。地域企業の社長ご自身が成長と賃上げのビジョンをお示しになり、魅力的な職場をつくっていけば、都会志向の若者が生まれ育った土地に残る可能性は高まるはずです。

さらに、周りの社長が変わることも重要です。100億宣言するような社長は、地域のコミュニティ、飲み会の中心です。その飲み仲間、ゴルフ仲間の間で「あいつができるならば、俺もできる」という経営者が出てくる。この結果、金融機関や税理士など士業のネットワークでも情報が伝わっていくことが期待されます。

 

 

——高い目標であっても計画・戦略を立てれば、実現の道はある。高い目標・意欲を拡散していきたいわけですね。

 

山下 私はこれまで日本でスタートアップが起きてこなかった理由の一つはマインドの問題があると思っています。日本では多くの人が「スタートアップをやって成功する人は特殊な人だ」と考えているのです。特別な才能に恵まれた人しか成功しないと考えるから、「俺はやらなくてもいい。仕方がない」という言い訳をして、日々を過ごしてしまう。

 しかし、シリコンバレーやシンガポールでは、普通の人、近所の人、身近な同級生がどんどん起業していく。だから、「何で起業しないの?」というマインドが働きます。売上高100億円達成には、しっかりした戦略が必要ですが、それは特別な経営者でなくても挑戦できる。このマインドを広げたい。

 そして、何より経営者の皆さんにとって、「世の中に公言した以上はしっかりやらないといけない」というガバナンスが効いてくるのですよね。売上高20億円、30億円規模の企業はオーナー保有が多く、株主側からのガバナンスがあまり効きません。それに優良企業ゆえに借り入れが少なく、デットガバナンスも効かないことが多いのですよね。

 

——地域の名士、成長するという意思がガバナンスとして効果を発揮すると言えますか。

 

山下 100億宣言、成長加速化補助金が採択された地域企業の中には、採択を契機として、これまでは取引がなかった大手銀行が訪ねたケースもあります。それをきっかけとして、取引先が広がったケースもあります。公言によるガバナンス効果も含め、宣言して目立つことには大きな意味があります。

 

M&Aとブランディング・マーケティング強化が必須
 

 

——中小企業の飛躍的な成長には、①M&A、②ブランディング・マーケティングが重要な要素となりそうです。また、全ての中小企業が追求するものではないですが、③海外展開も焦点となります。100億宣言における、この3点の位置付けをうかがえますか。まずはM&Aについて。

 

山下 時間とリソースを買うM&Aは、非連続的な成長を遂げるため必須の選択肢です。人材移転や生産性向上にも効く。中小企業の場合、旅館であればブランドを残してバックオフィスを統合する、といった取り組みで利益が上がる事例があります。

 M&Aはだいたい年間5000件近くであり、事業承継型が多数を占めています。良質なリソースを持つ「売り手」と、成長志向の「買い手」をつなぐ市場は活発です。行政としては、透明性が確保される制度をつくっていくことが大切だと考えています。

 

——ブランディング・マーケティングもデフレ思考脱却には重要です。

 

山下 多くの地域企業が下請けの仕事に甘んじてきましたが、素材・原料をはじめ物価が上がる世界では、もう限界にきています。中小企業庁は価格転嫁を進めるよう努めていますが、本質的には、自社のブランド化とマーケティングが不可欠ではないでしょうか。

 これまでの中小企業支援では金融面が多かったのですが、ブランディング・マーケティング支援は十分ではなかった。プラスアルファを求める企業はコンサルティング、基礎的なところを強化したい企業は、政府が全国に設置した「よろず支援機関」を活用するというように、レベルに応じて使い分けることが選択肢になります。補助金ありきで「本来不要なものを導入する」のではなく、経営そのものを変革することが前提です。マーケティングなどは経営者とその右腕が戦略としてつくる中核部分だと考えています。

 

——海外進出はどうでしょうか。100億企業は地域経済を活性化させ、雇用を創出することが期待されています。

 

山下 海外展開については、日本貿易振興機構(JETRO)や中小企業基盤整備機構に支援枠があります。国のリソースを投入するという点では、「輸出まで」をまずは優先すべきと私は思います。国内に質の高い雇用や富を残す取り組みに公的資源を重点投入する考えです。もちろん、現地展開も応援はしますが、資源配分は国内還元を重視すべきと思います。

 

 

 

「経営がかっこいい時代」が国内投資を生み出す
 

 

——100億宣言において、成長加速化補助金は呼び水として重要です。しかし、一般にこうした補助金は2~3年程度で見直されることが多々あります。補助金に依存せず、100億宣言の流れを持続させるには、ネットワークやそれ以外にどのような政策措置が重要になりますか。

 

山下 鍵は、マインドに働きかけるネットワークの構築、すなわちソフトインフラです。シリコンバレーやシンガポールに存在するスタートアップをめぐるネットワークのように、ハードだけではなくソフトのインフラをそろえていきたい。日本にいれば、成長したい経営者が恵まれた環境にアクセスできる——そういう比較優位をつくりたい。日本発に限らず、日本で税金を払い、高い給料を払う企業が来てくれるならば、歓迎です。

そして、ファイナンス=資金調達の多様化が重要になります。通常のローンだけではなく、劣後ローン、優先株式などのメザニンといったファイナンスの仕組みを中小企業・中堅企業向けにしっかりとつくらなければ、補助金から自律的な資金調達への移行は進みません。

 

——100億宣言政策は1年を迎え、周知がかなり進みました。今後は、たとえば安全保障やロボティクスといった個別テーマを深掘りしていく可能性はありますか。グローバルニッチ企業を育てる視点も重要です。

 

 山下 もちろん、日本成長戦略で定めた17の戦略分野のサプライチェーンに入っていく企業が増えることは望ましいですし、グローバルニッチが育つことも期待しています。

ただ、私の意識としては「経営者をつくる」ことが最優先課題であり、その業種は問いません。スタートアップのようにゼロイチを生み出し、さらに、1→1010→100100→1000へと事業を成長させる力を持つ方々が、100億宣言企業、中堅企業に集まる。このような経営者層が厚い国ほど、幸せな経済をつくりだす国になると思います。経営者であることが「かっこいい時代」にしたいのです。

 

聞き手:デロイト トーマツ戦略研究所 編集長/主席研究員 江田 覚

撮影:主席研究員 駅 義則

 

(敬称略)

 

PROFILE
 

山下 隆一 / Ryuichi Yamashita

中小企業庁 長官

ラ・サール高等学校、東京大学法学部卒業。1989年、通商産業省(現・経済産業省)入省。東日本大震災後、東京電力の取締役兼執行役として東京電力の事業再建と福島復興に向けた取組を推進。産業技術環境局長、資源エネルギー庁次長、製造産業局長などを歴任。経済産業政策局長として成長と変化の担い手企業を支援する観点から「中堅企業」の定義を新設し、現在の100億企業政策につながる成長戦略の基盤を構築。20247月より現職。中小・中堅企業の「稼ぐ力」強化による賃上げと成長投資を推進。

 

参考文献・注釈

 

  秋吉貴雄伊藤修一郎, 北山俊哉(2020). 公共政策学の基礎有斐閣

  経済産業省(2025). 100億宣言を開始します」経済産業省
https://www.meti.go.jp/press/2024/02/20250221002/20250221002.html

  経済産業省(2026). 「令和7年度補正予算(中小企業・小規模事業者等関連予算)」. https://www.chusho.meti.go.jp/koukai/yosan/r8/r7_hosei.pdf

  政策におけるナラティブ(物語)の役割は2016年の米国大統領選挙、英国の欧州連合離脱(Brexit)以来、関心が高まっている。ナラティブの政策に対する影響力を分析するNarrative Policy Frameworkについては次が詳しい。 Jones, M. D., & McBeth, M. K. (2010). A narrative policy framework: Clear enough to be wrong?. Policy studies journal, 38(2), 329-353. 100億宣言政策が普及すれば、NPFを用いた分析の対象になる可能性がある。