Interview

2026年5月28日

日本に求められる「10年、20年の国家目標」  国際金融の生き字引、行天豊雄氏が語る

1985年に米国ニューヨーク市で開催された先進5カ国(G5、日・米・英・独・仏)による財務閣僚・中央銀行総裁会議。G5はドル高の是正に向けて協調行動を取ることに合意した。歴史に名を残す「プラザ合意」である。当時、大蔵省(現財務省)の国際金融局長として直接、プラザ合意の実務折衝に当たったのが、元財務官の行天豊雄氏だった。1931年生まれの行天氏は、戦後の通貨外交の歴史に通じた国際金融の生き字引と言える。行天氏が第二次世界大戦後のブレトンウッズ体制、プラザ合意を振り返りつつ、米中の通貨覇権に対する評価、将来の基軸通貨の見立てについて語った。

行天豊雄氏

 

金融の世界秩序なき中の「プラザ合意」

 

 

——行天さんが直接かかわった「プラザ合意」のころ、世界金融の大きな課題は何だったのでしょうか。

 

行天 プラザ合意の時は戦後の国際金融秩序を整えた「ブレトンウッズ体制」はすでに壊れていました。 ブレトンウッズ体制は、第二次世界大戦の原因にもなった戦前の世界恐慌、ブロック経済に対する反省から1944年に登場した。米ドルを基軸通貨とした固定相場制によって世界経済を安定させてきたわけです。それが1971年に壊れた。ご存じの通り、米国のニクソン大統領が打ち出したドルと金の交換停止、ドルの実質的切り下げというドルショックによってブレトンウッズ体制は崩壊しました。
 プラザ合意は、ブレトンウッズ体制の次を構成する新秩序がまったく定まっていない中で開かれた。米国の赤字がどんどん増えてしまっているので、なんとかしなければいけないということで、G5[i]の首脳が集まった。結果としてドル高是正という国際協調が行われたわけです。
 為替市場の調整のために主要国が集まって議論し、国際協調が行われたという点で歴史的な意義はあったということでしょう。 ただし、ブレトンウッズ体制に代わる新しい国際金融の制度を生んだわけではなかったのです。
 G5の会合は以前からあったけれど、ジェイムズ・ベーカー財務長官が従来の会合の進め方を壊した。それ以前は、完全な秘密会合だった。G5については誰もが知っているが、いつどこで会って、どんな議論をし、どんな合意が生まれたかはまったく明かされなかった。
 秘密主義だから、ひざ詰めで議論をできた。そうした濃厚な付き合いがあったから、G5のメンバーは仲が良かった。私の場合、米連邦準備制度理事会(FRB)の議長にもなった故ポール・ボルカーさんは特に仲が良かったし、尊敬する人でした。彼はいい意味での愛国者であり、いい意味で若者を大事にする気持ちを持っていた。
 しかし、ベーカー財務長官はプラザ合意の内容、G5の存在を公にしました。それにより、G5の秘密性はなくなって、オープン型になった。その点においては新しい形の国際協調だったのかもしれません。

 

——行天さんは「劇場型になった」とも表現されていますが、G5がオープンになったことをどのように見ていますか。

 

行天 本来、通貨の問題は、オープンなディスカッションには馴染まない。通貨、為替はマーケットを相手にするわけですが、通貨当局とマーケットはちょっと離れていたほうがうまくいく面があります。いつもマーケットのことを気にしなければならないという点において、オープンにしたことに対する評価は今でも答えが出ていないと思います。

 

——プラザ合意の時、ブレトンウッズ体制は既に壊れていることが認識されていた。その中で、新しい秩序を作ろうという機運は高まっていたのでしょうか。

 

行天 ないですね。国際的な金融秩序がないわけだから、「何とかしなきゃいかんな」という気持ちは誰もが持っていた。国際通貨基金(IMF)が1969年に創設したSDR(特別引き出し権)[ii]も、国際流動性を補完する準備資産として配分されました。そんな努力は確かに行われていたし、国際的な制度的な話し合いも随分行われました。しかし、結局、何も実現できなかった。ですから、ブレトンウッズ体制が崩壊した後の国際通貨制度における無秩序の状態はずっと続いておったし、プラザ合意の時も、制度的には何も生まれなかった。

 

ケインズ提唱の世界通貨「バンコール」、ポスト・ブレトンウッズになり得ず

 

 

——第二次世界大戦後において、ブレトンウッズ体制に代わる選択肢はあり得たのでしょうか。

 

行天 確かにほかの選択肢もあった。1940年代に経済学者のケインズ氏が提唱した世界共通の通貨構想である「バンコール」(英語の「bank(銀行)」とフランス語の「or(金)」を組み合わせた造語)を採用する選択肢があった。しかし、米国のハリー・デクスター・ホワイト国務次官補が米ドルを基軸とするIMFを提案。当時の米英の力関係でケインズ氏がやられてしまい、バンコールはお蔵入りする。
 しかし、仮に当時、バンコールが実現したとしても、バンコールがうまく機能するためには世界政府、世界中央銀行的な組織がなければ機能しなかっただろう。当時も世界政府を作るのがそもそも無理だから、バンコールも無理という話に落ち着いた経緯があります。

 

——現代は国境を越えた経済活動がどんどん増え、人材の世界的な流動化が進んでいます。特定の国の通貨を基軸通貨として使い続けるのは無理がありませんか。——

 

行天 無理ですね。ナショナルカレンシーをインターナショナルカレンシーにしようということ自体が言語矛盾であって、最初からバンコールという世界共通通貨は夢といえば夢だったでしょうね。 ケインズ氏という人は立派な人だったけれど、現実的ではなかったね。(「国際金融のトリレンマ」——[iii]参照)

 

 

表 第二次世界大戦後の国際金融をめぐる動き

1945年12月ブレトンウッズ体制が始動、IMF・IBRD(世界銀行)発足
1949年4月1ドル=360円の単一為替レートが定着
1971年8月ニクソン・ショック(金とドルの交換停止)
    12月スミソニアン協定成立
1973年2月円の変動相場制移行が本格化
1979年10月米FRBが金融引き締め(ボルカー・ショック)
1985年9月プラザ合意
1987年2月ルーブル合意
    10月ブラックマンデー
1989年12月日経平均が当時の史上最高値を記録
1990年3月日本で不動産向け融資総量規制
    10月東西ドイツ統一
1991年1月湾岸戦争勃発
    12月ソ連崩壊
1995年1月WTO発足
1997年7月アジア通貨危機が本格化
1998年8月ロシアが債務不履行に陥り金融危機発生
1999年1月ユーロ導入
    2月日銀がゼロ金利政策を開始
2000年7月金融庁発足
2001年3月日銀が量的金融緩和を開始
    12月中国がWTO加盟
2007年8月サブプライム問題が世界金融市場で深刻化
2008年9月リーマンショック
2010年5月EU・IMFがギリシャ支援決定、欧州債務危機が深刻化
2013年4月日銀が量的・質的金融緩和を開始
2015年11月IMF、SDRへの人民元追加を決定
2016年6月英国のEU離脱決定(Brexit)
    11月米大統領選でトランプ氏当選

デロイト トーマツ戦略研究所作成

 

「国際通貨の重荷」感じる米国、デジタル通貨が基軸となる未来も
 

  

 

——G5 が G7(主要7カ国) になりましたが、金融政策あるいは為替政策でマーケットに対峙していくのは難しくなっているということですか。

 

行天 国際金融と一言で言っても、情報化、グローバル化が進み、世界経済の仕組み、動き方が大きく変わったわけです。 1980年代以降の世界経済は、それ以前と比べて全く違うものになっている。前提条件として、米国の地位がどんどん低下し、ドルの基軸通貨としての役割がなくなった。 つまり金・ドルの交換性はなくなってしまった。固定相場制も捨てた。そういう意味でのドルの基軸通貨としての役割はそれまで違ってしまったわけです。
 では、ドルに代わる通貨があるのか。ないわけです。世界の金融資産の6割とか7割がドルであり続けていますし、国家の準備資産として見てもドルは依然として最も幅広く使われている通貨です。ドルの基軸通貨性は残っているわけです。 ところが、ドルの発行国の米国はドルの国際通貨性について重荷に感じるようになっている。

 

——米中の覇権争いの時代がしばらく続く中で、ドルから人民元などへの基軸通貨の交代はありえるとお考えですか。

 

行天 今後10年、20年を考えれば、中国が経済規模で米国を追い越すことは起こりえるでしょう。貿易や投資の世界でも人民元の役割が相対的に高まるでしょう。 しかし、人民元がドルに変わるのは難しい。ご存じの通り、人民元の自由化、資本取引の自由化はおそらく進まないでしょう。人民元を使う割合は増えていったとしても、基軸通貨の役割は依然としてドルであり続ける可能性は高い。
 もう一つの可能性として考慮に入れておく必要があるのは、ビットコインも含めた仮想通貨(暗合資産)です。広い意味でのデジタル通貨です。現状、デジタル通貨は、法定通貨のように国家による裏付けがあるわけではない。ステーブルコインのように法定通貨と1:1の価格変動にするといった価値の裏付けについてもっと知恵が出れば、お札の通貨による基軸通貨ではなく、デジタル通貨が新しい基軸通貨に置き換わることだってあり得るでしょう。

 

——基軸通貨としてのドルもそうですし、世界の安全保障を米国の軍事力によって支え続ける時代が終わったというのが、トランプ政権のメッセージでしょうか。

 

行天  トランプ氏に限らず、ジョージ・ブッシュ氏にしても、歴代の米国大統領は米国の世界政治、世界経済への責任を減らしたいと考えた。このトレンドは共和党、民主党という政党は関係がない。バラク・オバマ大統領は、民主党でありながら「米国は世界の憲兵ではない」とはっきり言っていました。 イラクやアフガニスタンでの戦争による疲弊もあって、米国の負担を減らしたいと明言したわけです。
 ただ、米国は自分たちの力が弱っていることを意識して世界への責任を捨て去りたいと思いつつ、一方で、中国との間の競争関係を意識しなきゃいけないというジレンマに立たされています。ですから、 21世紀の前半は、トランプ氏と習近平国家主席という強烈なリーダーが退き別のリーダーの時代になっても、米中の覇権争いの時代が続くでしょうね。  21世紀の半ばぐらいになれば、米中どちらが覇権国なのかは明らかになっているでしょう。

 

——21世紀は不確かな要素がどんどん増えていき、新しい秩序を作るにしても、複雑な時代になりますね。

 

行天 軍事技術はどんな発展を遂げるのか。中でも戦術核がどうなっていくのか。宇宙での競争はどうなっていくのか。AI(人工知能)の発展が社会をどう変えるのか。地球温暖化などの環境問題がどこまで深刻になるのか。わからないことだらけですが、人類が将来に対する危機感を持ち、ある方向にまとまっていけば、明るい未来は展望できると思います。しかし、一方で、なんかの拍子で核保有国同士の核戦争が起きることも現実的に起こりえる時代です。

 
 
発言力確保へ「技術立国」が焦点、それを支える国際人材育成
 

  

——日本は少子高齢化が進んで人口も減る。政府債務も膨らんでいくと、なかなか厳しい状況です。処方箋はあるのでしょうか。

 

行天 日本の競争力は弱まっていますから、世界の覇権争いに参加するのは無理なことは間違いない。しかし、国際的な競争力は、経済力とか軍事力だけではない。これからの時代、技術進歩は幅広い分野で行われるでしょうから、日本がまた存在感を示す可能性がなくなったわけではないと思います。生成AIも含めた技術立国的な努力をすれば、日本の発言が世界で関心を集める時代は来ると思いますよ。

 最近の国際情勢を見ていると、米中の覇権争いの話だけではない。ヨーロッパを含めた昔の G7(主要7カ国) 的に自由、民主主義、人権などの価値観を共有するグループが厳然として存在します。また、日本やカナダなどのミドルパワー(中堅国)の国々、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの5カ国からスタートした国際枠組み)、インドを代表とするグローバルサウスなどいろいろなグループが形成されている。
 世界の政治経済はグループ化したり無秩序になったりしているが、その中で発言権、存在感を確保する国は存在する。最近だと、米国とイランの和平交渉を仲介したパキスタンは発言権を確保している国の典型例でしょう。日本が外交面で発言権を確保していくには、かなりの知恵を出さなきゃいけないが、以前よりも知恵を出せる余地がある世界になってきています。 

 

——世界の中で発言権を持つために日本は何をすべきでしょうか。

 

行天 広い意味での教育が大事だと思いますね。これからの時代、「君は日本人だ、私は米国人だ」と国籍を意識することがだんだんと薄れていきます。その分、個人の発言が重要になっていく。そういう文脈で、人材教育は重要度を増すでしょう。
 国際社会を舞台にした活躍は、どれぐらい質の高い教育を受けたかが重要です。発想力が豊かであるとか、物事を率先して行うイニシアチブがあるといった人材がますます活躍する時代になっています。 昔から、国際機関を含めたインターナショナルアリーナでの日本人の活躍が足りないという指摘はされていますが、なぜ少ないかと言えば、教育の問題にぶち当たるわけです。
 これからも国際的に評価される人間の数をできるだけ増やすことで、日本に対する関心も高まると思います。人口1億人という数は決して少ない数ではない。国際的に活躍する人材を育てるのは、目標を持てば実現できることです。そのためにも、国として中長期の目標を持つことがとても重要です。国家目標を持つことで日本という国を国際的に印象付けるのは非常に大事なことです。

 

 

 

中長期目標の設定がマーケットの関心つかむ
 

  

——日本にとっては長期の成長、国家目標の策定が大きな課題になっていきそうです。

 

行天 中長期目標は10年単位の話です。日本が抱えている問題は、人口問題にしても、財政の問題にしても、社会保障の問題にしても、環境の問題にしても、10年単位、20年単位の問題です。来年には片付くという話ではない。
 日本が中長期の課題に取り組みながら、どんな国になろうとしているかを示すことは、日本に対する関心を高め、日本の国際的地位を高めることにも多いに役立つと思うのです。日本が政治的にも経済的にも社会的にも一歩も二歩も前に進んでいることを示すことは、マーケットに対してアピールできることになると思います。
 なぜこんなことを申し上げるかと言えば、過去に対する反省があるからです。日本はブレトンウッズ体制をフルに享受してきた国です。 固定相場と自由貿易の恩恵を受け、輸出立国として高度経済成長を達成できましたよね。 ブレトンウッズ体制が壊れてしまい、プラザ合意でドル高が是正されて、日本が置かれた政治経済の環境が変わったのに、日本は変われなかった。
 日本経済を輸出主導型から内需主導型へ転換するための報告書である「前川レポート」(1986年発表)[iv]にしても、民間主導型の経済システムへの転換を目指した「平岩レポート」(1993年発表)[v]にしても、素晴らしい提案でした。だけれども、日本が自分たちの立ち位置についてしっかりとした理解が広がらず、日本の経済構造を変えることができなかったですね。
 もう一つ大事なことは、政治が目の前のことしか考えなくなっているのではと危惧します。先のことまで考える政治にならないと日本の再浮上はないですね。また、自分が年を取ったから言うわけではないが、年配者は発言を控えて、若い人たちが発言権を持つべきです。長期的な自分たちの将来、国の将来を考えた若い人の考え方が政治に反映されるような仕組みを構築する必要がありませんか。

 

——力強い目標を固め、新しい仕組みを築いていくことは簡単ではなさそうです。

 

行天 中長期の目標を立てながらも、やるべきことは一歩一歩ですよ。大海の一滴が大事です。外務省で中国大使をした故阿南惟茂さんはその代表例だと思うのです。終戦の時の陸軍大臣をしていた阿南惟幾さんの息子です。
 阿南さんは外務省を退任した後に国際交流基金日中交流センターの所長になって、中国の高校生を日本に留学させる事業をライフワークにしていました。毎年30人ぐらいの中国の高校生が日本の家庭でホームステイしながら各地の高校で勉強してもらった。
 同じ年の日中の高校生が1年間ともに学び、暮らしたから、お別れ会のときはもう泣いて別れを惜しむわけです。「日本の高校生活で一番楽しかったことは何でしたか」と尋ねると、ほとんどの中国人留学生は「クラブ活動が楽しかった」と言うわけです。大海の一滴かもしれないけれど、10年、20年、30年と続けていけば、日中関係の礎になっているのではないでしょうか。

 

 

フルブライト留学が生きた国際金融の仕事
 

  

——行天さんも若いころに米国に留学されています。

 

行天 私はフルブライト留学生として米国のプリンストン大学大学院で学ばせてもらいました。2年間の留学でしたが、1年目が終わった時に南部の黒人の人たちが多い町で学校を作るボランティアに参加した。そういう経験がその後の人生、国際舞台での仕事に役立っています。これまた大海の一滴だったわけです。
 米国は、フルブライト留学制度で毎年、30~40人の日本の若者を米国に招いた。飛行機はファーストクラスでしたよ。自分の国の利益になるから外国人を招く留学制度を作ったのだろうけど、戦争で打ち負かした国の若者を連れてきて勉強させるなんて、一歩一歩を大事にする国、教育を大事する国だったね。

 

 

——行天さんは、官僚にならなければ、新聞記者になっていたという話を聞いたことがあります。

 

行天 新聞社を受けました。日本経済新聞社に入社する意思を伝える段階になって、公務員試験の合格結果が出ました。親父が役人に対して畏怖の念と尊敬の念を持っていて躍らんばかりに喜んでくれた。「頼むから役人になってくれ」と言われて、親孝行のために大蔵省に入った。
 新聞記者に憧れたのは、2冊の本の影響でした。一冊がエドガー・スノーの『中国の赤い星』、もう1冊がジョン・リードの『世界を揺るがした10日間』でした。二人とも米国人の記者ですが、歴史の現場に入り込んで時代を活写したところがすごかった。スノーは若き日の毛沢東の姿を描き、リードは社会主義国家ソ連を生み出したロシア10月革命の現場を克明に描いた。そんな2冊を読んで、世の中、いったい何が起きているのか、真実は何かを探し出すために一度は新聞記者になろうとした。
 だから、若い人にアドバイスするとしたら、本を読んでほしいね。特に古典を読んでほしい。古典には良い本がたくさんある。私はこの年になっても、本はよく読む。最近は、習近平氏に関する本を読んでいます。興味は尽きません。

 

(敬称略、インタビューは2026年4月9日実施)

聞き手:デロイト トーマツ戦略研究所 編集長/主席研究員 江田 覚

                 客員研究員 酒井 綱一郎(撮影も)

 

 

PROFILE
 

行天豊雄 / Gyohten Toyoo

1931年1月生まれ、95歳。1955年東京大学経済学部卒業後、大蔵省(現財務省)に入省。プリンストン大学留学。国際通貨基金、アジア開発銀行に出向、85年のプラザ合意の時に国際金融局長、86年から89年まで財務官。89年退官後、ハーバード大学、プリンストン大学などの客員教授。その後、東京銀行会長。国際通貨研究所初代理事長、内閣特別顧問などを務めた。 著書に、「富の興亡―円とドルの歴史」(ポール・ボルカー氏との共著、東洋経済新報社、1992年)、「円はどこへ行くのか―体験的為替論」(講談社、1996年)など。

注釈

 

[i] Group of 5 の略。日本、米国、イギリス、フランス、ドイツ(1990年までは西ドイツ)の先進国5カ国が参加。1986年以降はイタリア、カナダが加わり、G7の枠組みとなった。

[ii]  Special Drawing Right,  IMFが定義する国際準備資産。通貨ではなく、その価値はIMFの議決権を持つ主要メンバー国の通貨で構成されるバスケットに基づいて決まる。2015年に人民元がバスケットに加えられ、2015年以降は米ドル、ユーロ、人民元、日本円、英ポンドの5通貨で構成されている。
IMF, What is the SDR?.  
https://www.imf.org/en/about/factsheets/sheets/2023/special-drawing-rights-sdr

[iii]   「国際金融のトリレンマ」:1980年代に徐々に認知されるようになった国際金融論上の一説。一国が対外的な通貨政策を取る時に、①為替相場の安定、②金融政策の独立性、③自由な資本移動、の3つのうち、必ずどれか一つをあきらめなければならないというもの。
公益財団法人国際通貨研究所, 「国際金融のトリレンマ」, 同研究所サイト. 
https://www.iima.or.jp/abc/ka/21.html

[iv]  1986年に国際協調のための経済構造調整研究会(当時の中曽根康弘内閣総理大臣の私的諮問機関)がまとめた報告書。研究会座長を務めた前川春雄元日銀総裁の名前から、通称前川レポートと呼ばれている。

[v]  1993 年に経済改革研究会(当時の細川護熙内閣総理大臣の私的諮問機関)が発表した報告書。平岩外四経団連会長(当時)が研究会座長を務めたことから、通称平岩レポートと呼ばれている。規制緩和,社会資本の整備などを提言。